これは批評ではありません。

布教と悪口とメモ/えんためはなんでもマル

先輩

最近、流行りのアプリゲームにハマって、二次創作小説に手を出すようになった。意外に思われそうな気もするが、私は中高時代に何だかんだ支部を経由しないオタク道を歩いてきたタイプの女子なのでその手のものは初めてなのだが、これが結構面白い。世の中にこんなに小説を趣味で書く人がいるのかと驚く。非常に読ませる文章の達者な作品やキャラが生き生きと動き回る名作がごろごろ存在していて、創作の神々に手を合わせる日々だ。

そしてその折々に、先輩のことを思い出す。

実は先輩に関してはここ半年で何度か思い出す機会があり、その度にどこかに気持ちを吐き出したい衝動に駆られていたのだが、なかなか上手く言葉にできずにいた。でもこのままではなかなか私も落ち着かないので、今回頑張って文章にしてみようと思う。

一年ぶりの更新で、感想ブログではなく極めて個人的な感傷の話をするので引き返すならこのタイミングを推奨する。

------------------------------------------------------

先輩とは私が中高時代にお世話になった2コ上のS先輩を指す。私が卒業した片田舎の中高一貫校において、S先輩は中学時代に生徒会長を務めていた校内でもそこそこの有名人であり、決して華やかなタイプではなかったが鷹揚とした人柄に高いカリスマ性を備えたいわゆる人たらし的な人物だった。

 

そして誤解を恐れずにいえば、とにかく「明るさ」「人懐っこさ」「素直さ」「面白さ」といった後輩としての器量に欠ける私にとって、当時のS先輩は唯一の"先輩"だった。

 

先輩との邂逅は中学2年の春だった。

内部進学で高校に上がった3人の先輩が入寮することになり、その中の1人がS先輩だったのだ。人数も少なく環境もそれほど良いとは言えない寮生活の洗礼を受けて、S先輩以外の2人はすぐに辞めてしまった。ただS先輩だけは持ち前の人たらしぶりで早々に上級生の先輩方とも打ち解け寮生活に順応していった。そのあまりの手際の鮮やかさには私も食堂の隅で舌を巻いたものだ。まもなく私とも会話をする仲になった。

 

ただこのときのS先輩は所詮、元生徒会長であり、謎のカリスマを秘めた癒し系とギャップの人だった。(先輩はふくらとした見た目に反し、生徒会長時代、体育祭のダンス長としてキレキレの安室ちゃんダンスを披露していた)

 

関係が変わったのはその1年後になる。

先輩に借りたPCを使っていたら、うっかり書きかけの同人小説を発見してしまった。とても焦った(暴露されても平気な自信はあったが当時の私は腐ってはいなかった)。見て見ぬフリをすべきかとも悩んだが、好奇心に背中を押され、お風呂で一緒になったときに「見つけちゃいました.......」と言ったらめちゃめちゃ慌てた後に、今度は吹っ切れて世界の広さについて色々と教えてくれた。

 

その頃から、先輩は私の部屋(正確には相部屋の子がいて2人部屋)に遊びに来るようになった。ダイエットをやると言って腹筋をしたり、橋本愛ちゃんの魅力について教えてもらったり、好きな漫画やアニメについて語り合ったりした。やがてS先輩が入り浸ってる部屋があると聞きつけた他の先輩方も足を運ぶようになり、いつのまにか私の部屋は溜まり場のようになった。消灯時間の後に集まってはくだらないお喋りを繰り返した。6年間の寮生活の中でこの2年間が私にとって最も賑やかな時期だったと思う。

ただ本質的な話をしてしまえば、結局それはS先輩を中心としたコミュニティでしかなく、それは誰もが無言のうちに承知している事実であり、何より部屋の提供者である私が一番よくわかっていた。誰もがS先輩に会いにきていたのだ。だからこそS先輩が純粋に私なんかの部屋を選んで来てくれることが本当に嬉しかった。私自身、賑やかさの隙間の、私とS先輩、そして相部屋の子とのちょっとした3人の時間の気楽さをより愛していた。

3人の時間なら、私たちはダラダラと好きなだけ好きなものについて話せた。S先輩はパンダとコスプレが好きで、同人誌が好きで、二次創作小説を嗜みながらもお笑いやお洒落を楽しんだ。それから人間関係の話もよくした。S先輩はSハーレムなる友人関係(とにかく女子に異様に人気のある人なのだ)を形成しており、ハーレム間での女の子同士の難しさやツンデレ気質な友だちの可愛いらしさについて悩ましく語った。私はそれらに関して、ときに「コスプレしましょう!」と盛り上がってみたり「筋肉受けの良さは理解しかねます」と議論を交わしてみたり「先輩は本当にモテますねえ」と相槌を打ったりした。

 

やがて先輩にも受験の時期が近づいた。先輩は北九州の公務員試験を受けると言った。私にはそれが少し意外だった。生徒会長をやっていて学業にも真面目に取り組んでいる人だったから、てっきり大学に進学するものだと思い込んでいたのだ。理由を尋ねると「私は大学に行って勉強したいことなんてないし、アニメや漫画が好きだから聖地の北九州を守るよ」と冗談交じりに笑った。京大受験への圧力と実力とのギャップで自転車を空回しに漕いでいたような私にとって、その台詞は胸がすくような格好良さがあった。帰省したときにこの話を父親にすると「その先輩は賢い人だね」と評価していたので私はますます誇らしい気持ちになった。

 

受験期に入った先輩は、ほとんど毎日のように部屋に通っていた生活から、週に2回程度まで頻度を落とした。商業のBLコミックスの山も私の部屋に預け勉強に励んでいた(好きに読んでいいよと言われたが、ページをめくって3枚目には玄関で押し倒されているので相変わらずあんまり好きにはなれなかった)。その代わり、お泊まりと称して一緒に寝るようになった。文字通りシングルベッドに2人で寝るのだ。時には相部屋の子も交えて3人で眠ることもあった。

先輩は疲れているらしく、私たちをくすぐっていじめたり、逆に甘えたりして以前にも増してスキンシップを求めた。それはそれでなんだか実の姉妹のようで楽しかった。何より先輩が寝に来るのはいつも相部屋の子ではなく私のベッドの方で、そのことが実はたまらなく嬉しかった。

 

先輩は努力の甲斐あって北九州市役所への就職を決めた。本当は税務署(市役所より試験が難しいらしい)にも受かっていたそうだが、選んだのは希望通りの進路だった。いよいよ卒業が迫り、寮生女子で先輩を送る会を開いたのだが、私はそのタイミングでインフルエンザを発症したため会には立ち会えなかった。めちゃくちゃ悔しかった。そのまま先輩は退寮し、結局別れの言葉は卒業式の当日に手紙を渡すことで済ませた。部活の先輩を差し置き、ルーズリーフ1枚にぎっしりシャーペンを走らせたちょっと気持ち悪い手紙(私にとって先輩は先輩だけですみたいなことを書いた)を渡すと、交換に可愛いらしい便箋を貰った。人気者の先輩はそれからすぐに教室の雑踏に戻っていった。

 

それ以降、私が先輩と会えたのは自分の受験期のたった一度きりだ。久しぶりにご飯を食べましょうという話になり、魚町のカフェでデカいパンケーキをご馳走してもらった。その日の先輩はゴシックロリータのような私服で姿を現れたので私は少し驚いた。お喋りは普段通りだった。先輩は北九州に配属されているが、今は自宅に近い役場が勤め先なので実家を出ていないことや新人に懐かれてしまっていることなどを話した。私は受験の悩みや今の寮のことを教えた。楽しかった。それだけでもう私は満足してしまって、だから帰り際に先輩が「彼女がいる」と言ってくれたときも大して構わなかった。「相変わらずモテますねえ」と相槌を打てば「可愛いよ〜。(私の名前)も女の子と付き合ってみたら?」と誘われ、先輩が幸せそうでよかったと思った。その話を聞きながら電車に揺られたこと。今はなき鹿児島本線沿いのスペースワールドが、薄く夕陽に染まっていたことをなんとなく紐つけて覚えている。

それきり。それきりである。

 

他愛のない会話が最後になる人間関係など数えきれず、むしろ劇的に決別することの方がドラマティックで稀だろう。ただ正直、先輩に関してはどこかこの先ものんべんだらりと付き合い続けていけるのではないかという淡い期待が私の方にあった。そしてそれが思い通りの形を成し得なかったことへの寂しさが、ふとした瞬間、例えば舞台を観に北九州に足を運んだ際などにふらりと去来する。

 

強烈だったのが飛ぶ劇場の作品を観るため、小倉駅を通ったときだった。駅舎内の掲示板に漫画ミュージアム関連のイベント情報が大きく張り出されているのを見つけた。漫画とアニメの町・北九州。私は図らずも先輩のことを思い出してしまった。先輩とはSNS上で繋がっているものの、ここ最近は浮上しているどころか何かに反応している様子も見受けられずほとんどその足跡を消していた。声優の名前を派手に打ち出したポスターは、先輩がこの町を確かに動かしている証拠のように思えたのだ。先輩の消息が気になって、この日の帰りの電車で私はSNSからなんとかその軌跡を辿ろうと腐心した(先輩と仲の良かった先輩の垢を調べたり、要するに裏垢を特定しようとした)が結果は芳しくなくむしろ遠い日の思い出を汲み上げて感傷に傷ついた。

 

だが数日のうちに、ことは起きた。

携帯を買い替えLINEを新規に入れ直した際に、突然先輩の名前が通知の一番上に浮上したのだ。連絡が来たのかと思ったがそういうわけでもなかった。おそらく何かのきっかけで友だち登録が完了したのだろう。送られた言葉はなかった。

ただそれでもあまりにタイミングが良かった。つい先日、私は先輩を懐かしみ惜しんでいたのだ。思わず「びっくりしました。お久しぶりです」といったことを送った。しばらくして返信がきた。

 

お、と思った。就活を控えていることもあり、いい感じに話を転がせば、近々会いましょう的なところにまで持っていけるのではないだろうか。そんな風に企み、下手な郷愁に浸った。しかしその妄想の終止符はあっさりと打たれた。

f:id:kiki0101tr:20200530072902j:image

これは見返す度に泣きたくなる先輩とのLINEだ。「やろう」「いつかやろう」で終わる他人行儀に楽しい約束ほど叶わないものはない。私はこのやりとりを明確に「終わり」だと判断した。

 

こうして私とS先輩は終わった。

 

返事をするのはいつも苦手だ。ツイッターのリプライも、LINEも、会話も。自分なりに頑張って選んだつもりが要領を得ず、的外れに虚空に投げつけられた私の返事が床に突き刺さって無粋に散っている、そんな錯覚をする。相手をつい困らせてしまう。私と相手のふたりでその場に立ち竦み、不用意に悲しくなる。

だからもし、と想像する。もし私の誘いが上手かったら先輩との会話もこんな風に終わらずに済んだだろうか。二人でまたくだらないお喋りが出来ただろうか。話したいことはたくさんあった。

 

先輩、私は浪人中にようやくBLの良さがわかってきましたよ。商業も良いものです。最近だとはらだ先生の「ハッピークソライフ」と新井煮干し子先生の「先輩は女子校生♀」がとても刺さりました。親父受けのツボもわかってきましたが、筋肉受けは相変わらずさっぱりです。その代わり今私の中で女装受けが熱いのでその話がしたいです。就活は上手くいきませんが、先輩ならそんな悩みは無さそうですね。私は大学に来て正解だったんでしょうか。最近は演劇の公演に携わることがあって、それは楽しいのですが、学業の方は低空飛行もいいところです。留年もしかけたし。やっぱり自分で進路を開拓していった先輩はすごいと思います。お元気ですか。北九州のお家は、本当に伺ってみたかったです。先輩のご活躍を心よりお祈りしています。

 

書き出してみるとなんだか本当に気持ち悪い。

 

最近は支部を漁る度、この作品群のどこかにまだ先輩が書き連ねていた作品の一部が眠っているのではないかと思いを巡らす。私が読ませてもらえたのは先輩が友だちに捧げるための鬼徹小説一編だけだったが、ずいぶん書き慣れている感じがしたから、当時どこかに投稿していたのではと推察するのだ。最も先輩が白鬼派か鬼白派だったかについてまで正確に記憶していないし、どっちも投稿数が10000を超える大手CPであるから特定は難しいのだが。それでも偶然フォローした字書きさんが先輩だったりしないかななどと妄想せずにはいられない。

 

何にせよ終わり宣告を受けた私に出来ることはもうそれほど多くはない。今はただ、先輩のほとんど動かなくなったアカウントのいいね欄に、先輩の仲の良かったお友だちと私のアカウントの名前が並んでいることを見つけて、少なくても昔の自分が先輩にとって多少親しい存在であったという確信が幻想でないことを願うばかりだ。

 

本当に長くなってしまったけど、文字に起こしてみることで気持ちが軽くなったような気がする。頑張った甲斐があった。ずいぶん気持ち悪いことをたくさん書いてしまったけど、別に私は先輩が好きだったとか片想いで振られたとかそういう告白がしたかったわけではない。これは私にとって、もっと柔らかくて反発できないところに溜まっている澱だ。

 

私は青春時代の唯一といっていい、親愛なる先輩を失ってしまった。そのことを思い続けている、それだけだ。